稽古を楽しむ

今回は、私が稽古で心掛けていることの4番目、「稽古を楽しむ」について書いてみます。

  1. 土俵を変える・質を変える
  2. 分からないことを大切にする
  3. 数を重ねる
  4. 稽古を楽しむ
  5. 道友に感謝する

前回の投稿で、「量質の転換のためには、内部感覚に意識を向けて数を重ねる」ということを書きました。

これをやっていく上で心掛けたいのが、「稽古を楽しむ」です。
ちょっと言葉を足すと、「結果を求めず、過程としての稽古を楽しむ」になります。

どの稽古・鍛錬にも目的や期待効果はあります。
でも、「これをやるとXXが強くなる」など、結果を求める思考が先走ると、あまり良いことがありません。
結果を急いで近道しようとしたり、目先の結果で他人と比較したり、上達の妨げになりかねません。

結果のコントロールはできません。
我々ができるのは、なるべく動きを正確に、かつ、内部感覚に意識を向けて数を重ねるだけです。
その過程自体を、「楽しむ」位の気持ちで取り組む方が、最終的にはスムーズに質の変化につながります。

護身術が面白いのは、これが技に直接現れる点です。
手を掴まれて嫌だとか、相手を倒そう、という意識があると技の効きが悪くなります。
そうではなく、動きや感覚に集中して、その状況を楽しむぐらいの感覚で動く(文末注)、そうすると、拍子抜けする位にすっと技が決まるものです。

これは仕事でも同じですよね。結果を急ぐとロクなことがありません。
ましてや、道場の稽古は誰からも結果を要求されません。
完全に個人のものです。
仕事なら結果は常についてまわるものですが、道場の稽古は、誰はばかることなく楽しみたいものです。

武道の世界は、どうしても強い弱いの争いになったり、体育会的な上下関係が目立って、稽古を「楽しむ」のが遠慮されるような感じがしがちです。
でも武道学館は、過程としての「稽古を楽しめる」道場でありたいと思っています。

さて、次回は心掛けていることの5番目、「道友に感謝する」について書いてみます。

注: ここでは便宜的に「集中」と「楽しむ」を分けて書いていますが、本来は両者を分けるべきではありません。
究極的には、「楽しむ」という主体も消え、ただ行為に「集中し切る」だけになるはずです。この方が技の効きもまた変わります。
武道を「道禅」と表現することがありますが、達人の無我の境地とでもいいましょうか、武道が禅の境地につながる契機がここで生じます。

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