私の武道歴その3 ~茶道(続き)

茶道では、もう一つ非常に印象的なことがありました。

年に一度、文京区の護国寺に茶道各流派が集まり、茶会を行う行事があります。
毎年手伝いに行っていたのですが、あるとき某流派のお家元の点前を見る機会がありました。

経験の浅かった私は、お家元の点前なんてどんなすごいのが見れるかと期待していったのですが、反対に全く見栄えがせず、スーッといつのまにか終わってしまったのを覚えています。
当時は、「そんなものか」と拍子抜けしてしまいましたが、今はやはりあれは凄かったのだと思います。

空手もそうです。
覚えたてや若い頃は、ダイナミックに、迫力のある動きをするでしょうが、習熟すればするほど、どんどんカドが取れて、その人にとって自然な動きになっていきます。
当人も、見栄もてらいも無く、ただただ動作に集中しきる状態になるのでしょう。
自然と、見栄えはしなくなっていき、見る目のある人にのみ、その凄みが分かる状態になるはずです。

その意味では、型の競技化はどうしてもこれと逆行しがちで、なかなか難しいと思います。
採点基準を明らかにするために、どうしても、ハッキリした見栄えのする動作を求めざるを得ない。
一概に否定はしませんし、頂点に立つ方の力量は素晴らしいのですが、本質的な稽古の目的とはまた別のものだと理解しておく必要があるでしょう。

私の武道歴でご紹介した先生の動きは素晴らしかったです。
動作がごく自然で流れるようで、それでいて一瞬の動きの中にハッとさせられる美しさ、凄みがありました。
何気ない動作に長年の修練が表れている様が、目に焼き付いています。
私もあのようになりたいと思っています。

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