稽古を続けていく上で大事なのは、段級や何らかの賞など、外部に表れる、他人から与えられるものにモチベーションを依存せず、自分の内部の変化と、その過程を楽しむことだと思っています。
地味ですが、そうでないと長くは続けられません。
その変化の一つが、「見えるものが変わってくる」ことです。
自分の内部感覚が細分化され、変化を感得できるようになると、相手のそれも分かるようになってきます。
立ち姿のズレや、ここを突けば技が極まるなという点です。
指導役としては、なるべく的確に姿勢や動きのズレを矯正してあげたいですし、
力に頼らず技を極めるためには、効かせられる箇所にピンポイントで力を集中させられなければなりません。
稽古を続けていると、それらが段々と細かく分かるようになってきます。
姿勢や動きのズレは、なんとなく感じられる全体的な違和感がまずあり、次に、その違和感の元を探る、
技が極まる箇所は、なんとなくスーッと力が通りそうな流れとして見える、感じられる気がして、実際そこに手を合わせていくとうまくいく、
といった具合です。
大事なのは、「自分にない感覚は見えない」ということ。
あくまで自分の内部感覚として認識できるものが先にあり、後で、他人のそれも見えるようになる。自分→他人の順です。
だとすると、稽古で守るべきポイントは、
・相対稽古より単独稽古を主体とし、相対稽古は検証手段として位置付ける
・感覚を磨くのが大事なので、雑な稽古は慎む
・技の手順、形は一定の慣れが必要だが、追求すべきは自分の感覚
といった感じになるのではないでしょうか。
こういった稽古を積み重ね、結果として今までなかった自身の感覚を発見したり、相手にも技が通用したりすると、なんとも言えずうれしいものです。
技が極まらないと、なんとかして極めるためのコツを追い求めたり、
勢いに任せて動くのも爽快感があって気持ち良いかもしれません。
それを否定するものではありませんが、本筋は異なるということが我々の共通理解になるといいなと思っています。