O先生からは形に関して細かい指導を受けたことはほとんどなく、直接「こうしなさい」と言われたのは数えるほどしかありません。
O先生のさらにお師匠さんはもっと徹していて、立ち方や動きの名前すらもなく、「ただやれ」、「(形を)真似るな、学ぶな」とおっしゃっていたそうです。
印象に残っているのは、O先生のきわめて感覚的な表現です。
「風のように動きなさい」、(傍らの花を指さして)「花のように立ちなさい」、「息の根を生やす」、「(立禅の)手の中に宇宙がある」、、
正直、いまでもよく分からないものが沢山あります。
でも、私はこれらをお聞きできて本当に良かったと思っています。
先生ご自身の感覚がそのまま表現されているからです。
先生はもう亡くなってしまいましたが、私が覚えている先生の佇まい、触らせていただいた感覚、そしてこの言葉達を拠り所として、この感覚を自分でも味わうことを目指して稽古を続けることができます。
いま、巷には情報があふれています。
各方面からの研究が進み、生理学的、解剖学的に「正しい」表現で武道・武術の解説がなされています。それらの努力は非常に価値があるし、上達が進む人も沢山いると思います。私自身、勉強になることもあります。
でも、人間は必ずしも自身の身体を「正しく」認識できるわけではありませんし、「正しい」表現が「正しい」理解を導くわけではありません。
反対に、物理的には正しくない表現だったとしても、イメージしやすい、動きにつなげやすい表現もあります。
指導側としては、なるべく正しく、分かりやすい説明をするように今後も努めていきたいと思いますが、O先生がおっしゃっていたような、パッと聞いただけでは分かりにくい、感覚的な言葉も大事にし続けたいのです。
先生のそのままの感覚が表現されているのはこちらですし、その意味が、数年後ふと「あ、これかも」と思えたときの喜びはひとしおですから。