武道における「考える」

先日、ある道場生の方から、上達のためには自分で「考える」方が良いのか、「考えない」方が良いのか、というご質問を受けました。
30代OLさんも記事にしてくれていますね。

確かにこれは少々迷われる問題かもしれません。
私も両方耳にしたことがあります。

例えば、ブルース・リーの有名な言葉に「Don’t think, feel」というのがあります。そのまま読めばまさに「考えるな」と言っています。O先生も「頭で歩くな」という表現をされていました。

一方、武道の先達の本を読むと、どの方も師に追いつくために悩み、試行錯誤しながら稽古をしてらっしゃいます。その過程が無駄には思いません。
ある先生は、「自分で考えない者がうまくなるはずがない」とおっしゃっていました。

私は両方正しいと思います。
要は、稽古の段階と「考える」の意味合いの差なのではないでしょうか。
3つに分けて整理してみました。

①まず初学者の場合。
良くないのは、何か教わったときに、やる前か少々やった程度で、「これをやってどんな意味があるのか」、「もっと効果的なやり方、タイパの良いやり方はないか」と考え、自己流に変えてしまうことです。

稽古で目指している変化は、動きの前提そのものが変わるような種類のものです。
ですから、変化が起こる前に頭だけで理解するのは難しい。
もし最初から「分かった」と感じるなら、それは今の自分に分かる範囲に小さく分解してしまっているのかもしれません。

なのでこの段階で必要なのは、下手に考えるのではなく、言われたままにやってみることです。
まずやる、続けてみる。そして「分からないことは分からないまま取っておく」、この姿勢を持てるかが、最初の重要な分岐点だと思います。

②さて次の段階です。
ひたすら続けていくと、肉体が変化してきます。
自身の身体から新たな感覚が生じてきます。
今までできなかった動きが、いつの間にかできるようになっている場合もあります。

その変化や感覚を感じ取り(冒頭の「Feel」は、まずこのことではないかと思います)、でもそこで安易な思考を走らせず、もうちょっと味わいながら続けていくと、変化が明確になってきます。

もし、考えるとしたら、そこまで至ってからなのではないでしょうか。
得られた感覚・変化が、なぜ生じたのか、もっと高めるためにはどうしたら良いか思考し工夫していく。
武道の先達の試行錯誤は、大きくはこのようなものなのではないでしょうか。
このように、量の積み重ねを前提とする思考はあってしかるべきに思います。

なお、私の考えでは、この段階で加える工夫は大きなものではない方がよいでしょう。
芯となる稽古メニューはそのままに、そのやり方を少しだけ変えてみる。内部感覚をちょっと変えるだけの場合もあります。
もしくは、少しだけ別の稽古を加えてみて、芯となる方にどんな影響が出るかを試してみる。
そんな感じで、少しずつ調整しつつ変えていくやり方が、変化の継続性を保ち、より深くしていきやすいと感じています。

③そして最後、実践の場面です。
ここはもう改めて何も「考えない」。
30代OLさんの経験に端的に表れていますが、無心が一番ですよね。
格闘技の試合でも、最後の決め手になったのが咄嗟に出た計算にない一撃だったというのは時々聞きます。
ただ、そこに至るには、上記のような膨大な量の積み重ねと試行錯誤があってこそで、ただ素人がやってできるものではないはずです。
O先生の「頭で歩くな」という言葉は、全ての行為がこの境地であるべきという意味なのかもしれません。

以上、少々長くなってしまいましたが、難しいのは、①、②段階での「考える」だと思います。
武道にはどうしても古臭く非合理な印象がつきまといますから、①の段階で「本当に意味があるのか」と考えたくなるのも自然なことです。でもそこで生じる分析的思考では逆に遠回りになることもあります。
まずそのままやってみる。その上で変化を受動的・包括的に感じ取り、さらに深めていく。
その過程を楽しむぐらいの余裕を持つ方が、継続もしやすく、結果として本質的な上達につながるのだと思います。

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