今回は、大学時代の空手部の経験について書いてみます。
大学で所属していた空手部は、父に習っていた極真空手とは別の、今でいう総合格闘技に近い流派でした。
顔面への突きに加えて、投げや寝技、関節技まであり、それらを経験していなかった私にはとても新鮮で、純粋に楽しかったです。
また、顔面を意識した瞬間に、間合いや攻防の感覚が大分変わることや、関節の極め方などを肌で知れたのは、大変大きな収穫でした。
極真空手とは大きくことなる組手ルールを体験したことで、ルールそのものの限界を知れたのも大きかったです。
組手をやれば、相手に勝ちたくなるのが人のさがですし、やった感もあるのでどうしても組手ばかりに気が向かいがちです。
そして勝ちを追求すればするほど、ルールで許された範囲に技術が最適化され、ルールで使えない技術はどうしても軽視されます。
競技として勝敗を追求するなら、もちろんそれが正しいと思いますし、その世界でトップに立つ方は間違いなく強い。
ですが、護身や健康、精神修養を武道の目的とするのであれば、勝敗を競う手段としての組手に過度に走るべきではないと思います。
組手はルールがある以上、どこまで行っても、ある一つの状況設定にすぎません。
最終目的にはなりえないと思います。
一方、組手で得られるものは沢山あります。
・相手との対立状態にあっても、緊張して固まらず、本来の動きができるか
・相手の一瞬の変化を捉えて反応できるか
・お互いに動き合いながらも、間合いや位置取りを適切に行えるか
これらを自分なりに検証しながら、組手に臨むことができれば、とても有意義な稽古になるはずです。
勝ち負けを競うのではなく、自分のテーマの検証のために行う。
道場での組手はそのようでありたいと思います。