前回の投稿で、「動機は何でもOK」と書きました。
これは本心からの言葉で、人それぞれ続けながら、ご自分なりの意義を見出していって頂ければいいんじゃないかなと思っています。
その舞台が武道学館であれば私もうれしいし、「でしたらご一緒に稽古していきましょう」というスタンスです。
では、私自身がなぜ続けているかと問われると、「なぜかはなんだかよく分からないけど、止める選択肢はない」というのが正直なところです。
確かに、稽古をしていれば身体が整い元気になるし、新しい発見があるとうれしいし、皆さんと色々試行錯誤するのも楽しい、それらの日々の重ねも糧にはなっています。
ですがそれ以前に、新年のご挨拶でも書いたように、「己事究明」の手段として武道を捉えると、これはもう終わりがないものですし、生きていく以上自分と向き合うことを要求されるので、止める・止めないの世界ではなくなってしまいます。
なので、「止めるという選択肢はない」という表現がしっくりくるようになりました。別に特別なことをしている意識がないのかもしれません。
ちなみに、「己事究明」の手段としても武道、特に空手は優れていると思っています。これは回を改めて書く予定です。
さて、続ける理由は上記の通りなのですが、目標はあります。
それは、一昨年亡くなったO先生の境地に少しでも近づくこと。
先生は何度も私のことを、同じ道を歩む「同志」だとおっしゃってくださいました。
先生の足元にも及ばず、はるか後方を歩く私ですが、僭越ながら一緒に歩いている気もするのです。
少しでも長く歩いて、先生と同じものを見れるようになりたいなと思っています。